こんにちは!
くびれるご飯アドバイザー 西田井恭子です。
『くびれるご飯アドバイザー』って名乗っている西田井恭子って、何者?
そんなあなたに、私の事を知って頂きたい!
という訳で、3回シリーズで私の生い立ちから「くびれるご飯アドバイザー」を名乗るまでをお伝えします。
どうぞ、お付き合いくださいませ。
手に入れた「辛さを乗り越える力」
好奇心旺盛で、何でもやりたがりの私は、器械体操、新体操、バレー部のマネージャー、卓球、モダンダンス、などいろいろなことにチャレンジしました。
たくさんのチャレンジをする中でも私の人生に一番影響を与えてくれたものは、小学4年生の時に出会った器械体操でした。
「面白そう!やってみたい!」
そう思って入部したのが私の運命の始まりでした。
『頑張れば何でもできる!』
そう信じて頑張った結果、小学6年生の時、市の大会で個人総合優勝しました。
小学校の卒業アルバムの「将来の夢」は「体操の選手」と書いたぐらい、体操が大好きで大好きでたまりませんでした。
中学校も、体操部のある中学校を選びました。
でも、中学2年生の時からいじめにあいます。
いわゆる「無視」です。いじめは卒業するまで続きました。
もちろん辛かったです。何度一人で泣いたかわかりません。
あの時は、本当に心が痛かった・・・。
それでも、体操を思い切りできる事だけが、私にとっての唯一の救いと喜びでした。
成績は振るいませんでしたが、大好きな体操をすることで、いじめの辛さを忘れることができたんです。
あの時の経験から私は「辛さを乗り越える力」と「痛みの分かる心」を手に入れました。
人は助けられて成長していく
大学では創作ダンス部(のちのモダンダンス部)に入部。
クラシックバレエのバーレッスンや、ターン、ジャンプなどの技術練習は想像以上にハードでしたが、どれも夢中になるほど楽しかったです。
私が4回生の時は、2年に1度の自主公演の年でした。
広告取り、パンフレットの作成、作品作り、講演全体の構成・指揮など。
後輩たちも頑張ってくれましたが、普段の練習に出る4回生は私一人。
背負うものが多すぎて、精神的にも肉体的にもかなり追い込まれましたが、私のことを理解し、助けてくれた方々に救われました。
『どんなに辛いことがあっても、助けてくれる人は必ずいる。』
人は助けられて成長していくのだと、学びました。
あの経験があるからこそ、少々のことではへこたれません。根性つきました(笑)
今でも何かあると、「あの時を乗り越えたんだからこれくらい大丈夫」って思います。
(余談)
ちなみにニックネームの”ぴん”はダンス部の先輩がつけてくれました。
後輩たちにはピンクの“ぴん”(ひらがなにこだわってます。可愛いから)と説明していますが、
本当は・・・(割愛・笑)
ここは出会ったときに直接聞いてくださいね。
〜運動指導の世界に入るも、身体を壊して離脱〜に続きます☆
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